中庸 中庸の学
中庸とは儒教「四書」の一つ。
『論語』『大学』『中庸』『孟子』
儒教の中庸
- 『中庸』は最初『礼記』の一篇として存在しましたが、後には独立した書物として扱われるようにもなりました。南宋代に至り、朱熹の著した『大学章句』によって、多くの人々に読まれています。
- 『大学』が四書の入門であるのに対し、『中庸』は四書の中で最後に読むべきものとされ、その内容は修己や倫理などに関する記載が多いそうです。
- 朱熹の章句の冒頭によれば、『中庸』は孔子の孫にあたる子思が「道が衰え、伝わらないのを恐れて著した。」とありますが、後世の学者によれば、子思の著書かどうかは疑わしいとされています。また、朱熹の注では「中」とは偏らないことを意味し、「庸」とは易(か)わらないこと、と説明しています。
中庸の内容について
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『中庸』の中では、「中庸」の徳をくわしく解説している。しかし、『中庸』は、「中庸」以外に、「誠」、「性」、「道」、「慎独」など多くの概念についても述べている。この中で、「誠」は「中庸」よりも一層重要な概念であることも言われている。
中庸の「中庸」について
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「中庸」の「中」とは偏らない、しかし、決して過不及の中間をとりさえすればよいという意味です。「庸」については。朱子は、「庸、平常也」と「庸」を「平常」と解釈している、鄭玄は「・・・庸猶常也言徳常行也言常謹也」と「庸」を「常」と解釈している。「庸」が「常」という意味を含んでいることは二人とも指摘している。現在、多くの学者たちは「庸」が「平凡」と「恒常」両方の意味を含んでいると見ている。
徳性としての中庸
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『ニコマコス倫理学』のなかで、アリストテレスは人間の行為や感情における超過と不足を調整する徳としてGolden Meanを挙げた。これを日本語訳で中庸という儒教用語をあてた。例えば、勇気は蛮勇や臆病の中間的な状態である時はじめて徳として現れる。アリストテレスによれば、この両極端の中間を知る徳性が思慮(フロネーシス、実践知)である。